美容院・散髪に、行けなくなった話
引きこもって1年経つと、髪が耳を隠す。
2年経つと、肩に届く。
美容院に行けないまま、髪だけが伸びていく時期があった。
美容院が無理な理由は「切られること」じゃない
美容院が怖いのは、髪を切られるのが怖いわけじゃなかった。
美容院は、会話と対面が、一気にまとめて襲ってくる場所だった。
- 予約の電話が怖い
- 受付で「こんにちは」を言う
- 担当の人が「今日はどうします?」と聞く
- 鏡越しに1時間、ずっと目が合う
- 「どこに住んでるんですか」「仕事は何されてます?」の雑談
- 最後に「次回の予約どうします?」
引きこもりの自分には、一項目で1日分のエネルギーが削れるイベントが、連続で7つ並んでる。
髪を切るという行為そのものより、この一連のプロセスを通過する体力がない、という方が正確だった。
1000円カットの発見
最初の突破口は、1000円カットだった。
- 予約不要(または簡単な予約)
- 入店して券売機で券を買う
- 「カット1つ」と言う(or 指差す)
- 椅子に座って、「いつも通りで」か「短めで」
- 10分で終わる
- 次回予約の話もない
会話が、合計で20秒ぐらいで済む。
一般の美容院が1時間かけてやる社交イベントを、1000円カットは20秒に圧縮してくれてた。
この発見は、自分の中でかなり革命的だった。美容院=社交、という固定観念が壊れた。
それでも無理な時期は、自分で切った
1000円カットすら無理な時期は、自分で切ってた。
- 100均のすきバサミを買う(これだけは通販でOK)
- 洗面台で、前髪と横だけ切る
- 後ろは、適当に切るか、切らないで放置
技術はない。切りすぎる。段々になる。でも、家族以外、誰も見てない。
家族に「髪どうしたの」と言われたら、「自分で切った」と返す。それ以上掘られたら、部屋に戻る。
外に出ない期間の髪は、外に出る人のためのものじゃないから、下手でも問題なかった。
髪伸ばしっぱなしの後ろめたさは、家族発
髪が肩まで届いた時期の後ろめたさは、ほぼ家族の視線から来てた。
自分は外に出てないから、髪がどれだけ伸びてても、社会的には問題ない。
でも家の中で、親とすれ違うたびに、親の目が自分の髪に吸い寄せられる感じがあった。「髪、切らないの?」と数回言われた。
この視線に耐えるのがしんどくて、結局、1000円カットに行く決心がついた。
自分のためじゃなく、親の視線を止めるために切る。それでも、切った後の数週間は、家の空気が柔らかかった。
美容院に行けない期間は、ずっと続いていい
1000円カットに行けるようになった今でも、半年に1回ぐらいしか行かない。
一般の美容院には、ここ数年、一度も行ってない。
社会的には「おしゃれな髪型」じゃないかもしれない。でも、自分の生活は、それで完全に成立してる。
髪を切らない月が続いても、生活は止まらない。
切れる時は切る、切れない時は切らない。美容院に行ける時は行く、無理な時は1000円カットで10分、それも無理な時は自分で。
「ちゃんとした美容院に定期的に通う」が唯一の正解、ではない。
髪は、自分のためにあると思い出した話
あと、途中で気づいたのは、髪は本来、自分のためにあるということ。
引きこもってる時期の髪は、「他人からどう見られるか」で切るかどうかを決めてた。でも家族以外に見せないなら、他人の基準はそもそも関係ない。
自分が鏡を見て「重い」「邪魔」「暑い」と思った時だけ、切ればいい。それ以外の理由で切る必要はない。
他人の視線から切り離した髪は、伸ばしっぱなしでも、自分で雑に切っても、あんまり気にならなくなる。
切れる日は切る、切れない日は切らない
結局、美容院問題で自分が辿り着いたのは、この一行だった。
- 切れる日は切る(1000円カットでいい)
- 切れない日は切らない(家族の目を止めるために無理しない)
- 切れない日が続くなら、自分ですきバサミで、前髪だけでもいい
美容院に行ける状態を「治す」のじゃなく、美容院なしで回る生活を組む。
それで、髪の問題は、生活の問題から外れていった。治してないけど、困ってもいない。この状態で十分。