マスクが、外せなくなった話
2020年から数年、世の中はマスクが標準になった。
引きこもりだった自分にとって、この数年は、社会に出る時のハードルが一段下がった期間だった。
そして、コロナが収束した後、「マスクは外していい」と言われても、外せない期間が続いた。
マスクは、感染対策じゃなくて、顔のシェルター
世の中のマスクは、感染対策の装備として広まった。
でも引きこもり寄りの自分にとっては、マスクは顔を隠す装備として、全然違う機能をしていた。
- 表情が読まれない
- 変顔にならないように気をつけなくていい
- 肌が荒れてても見えない
- 口元の緊張が外に出ない
- 半分「別人」でいられる
コンビニに行くだけでも、顔の下半分が隠せるだけで、緊張量が半減する。
コロナ禍の数年は、引きこもりにとって、マスクという公的に認められたシェルターが社会の標準装備になってた期間だった。かなりの恩恵だった。
「外していい」と言われた時の、反対側の恐怖
コロナが収束して、「屋外ではマスク不要」「屋内でも個人の判断」と言われ始めた時期。
世間的には「やっと元に戻る」ムードだった。
でも自分の中では、真逆の感情があった。
- 「え、外すの?」
- 「これから顔を出して歩くの?」
- 「また、変な顔してないか気にする生活に戻るの?」
マスクが奪われる恐怖。
感染対策じゃなく、顔隠しとしての装備が、社会から取り上げられようとしている感覚。
周りがマスクを外し始める中で、自分ひとりがマスクを外せない時期が続いた。
「外せない人」がいることは、社会は分かってる
数年経って分かったのは、マスクを外さない人は、全然少数派じゃないということ。
- 花粉症の人
- 肌の調子が悪い人
- 人前で顔を出すのが苦手な人
- 単に「マスクの方が快適」な人
- 理由を言う気のない人
2026年時点でも、コンビニやスーパーで、マスクしてる人は普通にいる。
世間は「マスクを外せ」とは言ってない。「外してもいい」と言ってるだけ。
この違いは、大きい。外さなきゃいけない、のではなく、外さない選択を取り続けていい。
外したくない理由を、自分に説明しなくていい
引きこもりで真面目な人ほど、「なんでマスク外せないんだろう」と、自分を分析しようとする。
- 自分の顔が嫌いだから?
- 人の視線が怖いから?
- 慣れちゃったから?
- 甘えなのか?
ここで自己分析すると、ろくなことにならない。
理由を説明しなくても、外したくないなら、外さなくていい。
「なんとなく」「気分」「楽だから」。これで十分、外さない理由として成立する。他人に聞かれた時も、「花粉症で」でいい(花粉症じゃなくても)。
自分を納得させる言語化に、エネルギーを使わない。着けたいから着けてる、それだけでいい。
人前だけ着ける、家では外す、の切り替え
自分がやってるのは、場所による切り替え。
- 家: 外す(家族と過ごしてる時も)
- 近所の散歩: 着ける
- コンビニ・スーパー: 着ける
- 病院: 着ける(医療機関は今も推奨)
- 人と会う用事(たまに): 着ける
公的な場面では全部マスク、家だけ外す、という組み方に落ち着いた。
この組み方だと、「マスクがない状態」=「家にいる=安全」と、脳が覚えてくれる。
マスクを取る=リラックス、マスクを着ける=戦闘モード、みたいな、簡単なスイッチになる。
少しずつ、誰もいない道で外してみる(強制じゃない)
マスク依存を気にしてる人もいるかもしれない。
もし「いつかは外せるようになりたい」と思うなら、誰もいない道で、一瞬だけ外してみる、ぐらいから始める方法はある。
- 深夜の散歩中
- 誰もいない公園
- 家と家の間の路地
誰にも見られてない場所で、マスクをアゴに下ろす。数分で戻す。これを、気が向いた日だけ。
これは「慣らし」じゃなくて、「外しても大した事は起きない」の小さな確認。
ただし、この「慣らし」は、本人がやりたい時だけでいい。外したくないままでも、生活は完全に回る。無理に慣らす必要はない。
外していい時代に、外さない選択もある
世の中が「マスクを外していい時代」に戻ったからといって、外さなきゃいけない理由はない。
- 外したい人は、外す
- 外したくない人は、外さない
- 気分で切り替える人は、切り替える
どれも、同じくらい普通の選択として、社会に残ってる。
引きこもり寄りの人が、マスクを外さないまま数年生きても、誰も困らないし、誰も変な目で見ない。
「外していい」は、「外さなくていい」でもある。
この2つは同じ意味で、引きこもりにとっては、後者の方が正確に響く。