自分の苦しさ

「引きこもりは何年で抜けられるのか」を検索した夜

「引きこもり 期間 平均」みたいな検索を、夜中に何度もしていた時期がある。

期限を知りたかった。あと何年で終わるのか、誰かに区切ってほしかった。

期間を調べる検索は、たいてい焦りから来てる

最初に断っておくと、「引きこもり 何年で抜けられる」を調べる夜って、わりと余裕がない夜だ。

少なくとも自分はそうだった。「このままだとヤバい」「早く戻らなきゃ」という焦りが先にあって、その焦りを鎮める材料として「平均◯年で抜ける」みたいな数字を探してた。

平均が3年なら、自分はまだセーフかもしれない。もう5年経ってるなら、自分はもう手遅れかもしれない。そういう答え合わせをしたくて検索してた気がする。

  • 引きこもり 期間 平均
  • 引きこもり 何年で抜ける
  • 引きこもり 長期化 末路

このあたりを順番に踏んでいく夜だった。

「平均◯年」という数字は、たぶん出てこない

で、実際に調べてみると分かるんだけど、「引きこもりは平均◯年で抜ける」みたいなきれいな数字は、出典のはっきりした形では出てこない。

それもそのはずで、抜けた人・抜けてない人・行ったり来たりしてる人が全部混ざってる状態を、ひとつの平均値にまとめるのは無理がある。

ネット上には「平均◯年」と書いてある記事もあるけど、出どころがよく分からないものが多い。当時の自分は、そういう数字を見つけては一喜一憂してた。今振り返ると、出どころの怪しい数字に夜の気分を握らせてたな、と思う。

内閣府の調査が言ってたのは「7年以上が約半数」

そんな中で、ひとつだけ出どころのはっきりした数字に当たった。

内閣府が2018年(平成30年度)にやった40〜64歳向けの調査で、引きこもり状態になってから「7年以上」の人が約半数(46.7%)を占めていた、というものだった。

これを見た時、最初は「うわ、長い」と思った。

でもしばらくして、別の受け取り方が出てきた。7年以上が約半数ということは、長期化はレアケースじゃなくて、むしろ普通に起きていることだ、と。

自分は当時、「数年経ってるのにまだ抜けられない自分は、よっぽど駄目なんだろう」と思い込んでいた。でも統計の上では、長くなること自体はぜんぜん珍しくなかった。

長くなってるのは、自分の意志が弱いからじゃない

この数字が地味に効いたのは、「長期化=自分の根性が足りない結果」みたいな図式を、ちょっと崩してくれたところだった。

7年以上が約半数を占めるということは、これは個人の頑張り不足というより、そういう状態に入ると簡単には抜けにくい、という構造の話に近い。

  • 一度生活リズムが崩れると戻すのに時間がかかる
  • 外と切れている期間が長いほど、戻る時のハードルが上がる
  • 「早く戻らなきゃ」という焦り自体が、動けなさをさらに固める

このあたりは、自分の意志でどうこうできる範囲を超えている部分が大きい。半数近くが7年以上というのは、たぶんそういう「抜けにくさ」の表れなんだと思う。

だとしたら、「何年も経ってる自分は異常だ」と責めるのは、ちょっと筋が違っていた。

期限を切ると、その期限が自分を追い詰める

自分がいちばんやめてよかったのは、「あと◯年で抜ける」と勝手に期限を切ることだった。

「今年中には」「30歳までには」みたいな締め切りを自分に課すと、最初は前を向けた気になる。でも、その期限が近づくたびに「間に合わない」という新しい絶望が増えるだけだった。

期限を守れなかった日の夜は、検索ワードがまた卑屈な方に戻る。「引きこもり 何歳まで」「引きこもり 手遅れ」みたいな方向に。

7年以上が約半数だと知ってからは、その期限切りを少し手放せた。みんなが思ってるより長くかかるのが普通なら、自分のペースが遅いことに、そこまで意味はない。期限を外したら、夜が前より静かになった気はする。

長い時間は、そのまま景色の一部にしていい

これは「だから何年でもダラダラしていい」と開き直る話とは少し違う。

ただ、引きこもっていた期間の長さを、消し去るべき汚点としてじゃなく、自分の景色の一部として置いておくぐらいの距離感は、持っていいと思う。

7年でも、10年でも、それは約半数の人が通っている時間の長さだ。長いこと自体が、特別に駄目なことではない。長くても、それはただ長いというだけで、人としての価値とは関係ない。

自分の場合、抜けたのはずっと後で、しかも「ある日急に外に出られた」みたいなドラマチックな話ではなかった。家でできることをひとつ見つけて、それを細々と続けているうちに、いつのまにか期間を数えなくなっていた、という感じだった。

期間を数えるのをやめた日のこと

最終的に何が変わったかというと、抜けた日付が分かったわけじゃない。

「自分は何年目だ」とカウントするのをやめただけだった。

何年経ったかを数えている間は、その数字がそのまま自責の重りになる。数えるのをやめたら、重りがひとつ減った。減ったぶんだけ、家の中でできそうなことに目を向ける余白ができた。

それは「期間を縮める方法」ではぜんぜんない。むしろ逆で、期間を気にしなくなったら、結果として時間の感覚が緩んだ、という順番だった。

何年かかってもいい、という前提だけ持っておく

引きこもりの期間に、正解の長さはない。

平均何年、という数字に当てはめて自分を採点する必要も、たぶんない。出どころのはっきりした数字としては「7年以上が約半数」がある、それくらいを知っておけば充分だと思う。

長くなるのは普通のこと。期限を切らないこと。期間を数えるのをやめること。

このあたりを握っておくと、「何年で抜けられるのか」を検索する夜の苦しさが、少しだけ和らぐかもしれない。期間を数えるのをやめた夜の方が、自分の場合はたぶん静かだった。それくらいの話として、置いておく。


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