引きこもりが、静かに歳を取っていく話
引きこもりって、若い人の問題だと、自分も昔は思っていた。
不登校とか、新卒で躓いたとか、20代でちょっと止まってる人。そういうイメージで、自分もそのうちの一人だと思ってた。
でも、いつのまにか自分は若者枠を抜けつつあった。
「いつか抜ける」のいつかは、勝手には来なかった
引きこもってた頃の自分には、なんとなく前提があった。
当時の前提だった——今は止まってるけど、いつか抜ける、というやつ。
根拠はなかった。ただ、若いうちはそういう「いつか」を無限に持ってる気がしてた。明日でも来年でもいい、いつかは動き出すんだろう、と。
でも、いつかは勝手には来なかった。
カレンダーだけが進む。自分の状態は変わらないのに、年齢の数字だけが1つずつ増えていく。これが、引きこもりの一番静かで、一番効いてくる部分だったと思う。
数字を見て、自分の話だと気付いた
内閣府が2022年にやった調査だと、引きこもりは全国で推計146万人いるとされている。
この数字だけでも結構なものなんだけど、自分が引っかかったのは内訳の方だった。
このうち、40〜64歳の中高年が約61.3万人。半分近くが中高年ということになる。
引きこもりって若者の問題、っていう自分の中のイメージが、この数字でだいぶ崩れた。
実際には、若くして止まった人がそのまま抜けられずに、当事者として歳を取っていってる。そういう人がかなりの数いる、ということだった。
これを読んだ時、責められてる気はしなかった。むしろ、「自分だけが取り残されてるわけじゃないんだ」っていう、変な安心の方が先に来た。
長期化は、もう例外じゃないらしい
もう一つ、引っかかった数字がある。
2018年の中高年向けの調査だと、引きこもりの期間が7年以上の人が約半数(46.7%)いたとされている。
7年。短い数字じゃない。
これを見て思ったのは、長期化はもう特別なケースじゃない、ということだった。半年や1年で抜ける人もいるんだろうけど、抜けないまま年単位で続くのも、別に珍しい話じゃない。
引きこもってた頃の自分は、「こんなに長引いてるのは自分くらいなんじゃないか」と思ってた。長引いてること自体を、人より重い罪みたいに感じてた。
でも数字で見ると、長期化してる人はたくさんいた。それで罪が軽くなるわけじゃないけど、「自分だけ異常に長い」っていう思い込みは、事実とちょっとズレてた。
8050の、その先の話
引きこもりが長期化すると、当事者だけじゃなく親も一緒に歳を取る。
80代の親が50代の引きこもりの子を支える状態を「8050問題」と呼ぶ。これは聞いたことがある人も多いと思う。
最近は、その先の言葉も出てきている。9060問題。90代の親と、60代の子。
数字が10ずつ上がっていくのを見ると、ぞっとする。8050が9060になるって、要するに誰も抜けないまま、親子そろってそのまま歳を取った、ということだから。
ここを正直に書くと、怖い。怖い話なのは間違いない。
ただ、自分はこの怖さを、「だから今すぐ動け」っていう脅しには使いたくない。脅されて動ける状態なら、たぶんとっくに動いてる。動けないから止まってる。それは自分がよく知ってる。
怖さの正体は、「歳を取ったら詰む」という思い込みだった
じゃあ何が怖いのか、を分けてみる。
歳を取ること自体が怖いんじゃない。怖いのは、歳を取ったら、もう取り返しがつかないっていう感覚の方だった。
50になったら無理。60になったら無理。そういう「タイムリミットを過ぎたら終わり」っていう前提が、頭の中にこびりついてた。
でも、この前提は本当なんだろうか、と今は思う。
会社に新卒で入り直すとか、同年代の出世コースに追いつくとか、そういう物差しで測れば、確かに歳は不利かもしれない。
ただ、自分が今やってるのは在宅で稼ぐことで、ここに年齢制限はあんまりない。何歳から始めても、画面の向こうからは年齢が見えない。これは抜けてみて分かったことだった。
歳を取っても、食いつなぐ道はあった
自分が最初にやったのは、ポイ活だった。
買い物やサービスの登録でポイントを貯めて、現金に換える。これは履歴書もいらないし、面接もないし、年齢で弾かれることもなかった。
そこから少しずつ、在宅でできることを広げていった。今は親元を離れて、年の半分くらいを海外で過ごしながら、誰とも喋らず電話もせずに食いつないでいる。
これは「すごい成功」みたいな話じゃない。ただ、会社に戻らなくても、人前に出なくても、歳を取っても、食いつなぐ道は一本じゃなかった、というだけの話。
40でも50でも、画面の前でできることはある。むしろ静かに一人で続ける作業は、長く引きこもってきた人の方が向いてたりする。
歳を取ることと、自分を責めることは別
最後に、自分の中で整理がついたことを書いておく。
引きこもりが高齢化してる、っていう事実は、自分を責める材料にしようと思えばいくらでもできる。
「もうこの歳まで来てしまった」「あの時動いてれば」「親も歳を取らせてしまった」。こういう自責は、いくらでも上乗せできる。
でも、上乗せしたところで、状況は1ミリも変わらなかった。自責の量を増やしても、抜ける力には全然ならなかった。むしろ動けなくなった。
だから、歳を取っていく事実は事実として一回だけ受け取って、自責の方は増やさないことにした。
歳は取る。これは止められない。親も歳を取る。これも止められない。でも、その事実を一日に何度も思い出して自分を殴る必要は、なかった。
怖い数字を一回だけ見て、そのあとは今日できる小さいことに戻る。
そのくらいの距離感が、自分にはちょうどよかった。
それだけの話だった。
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