同窓会の通知が、家に届いた日
ある日、郵便受けに、同窓会の案内ハガキが入ってた。
差出人は、高校時代のクラス幹事。封筒ですらなく、むき出しのハガキ。
そのハガキを見た瞬間、その日の夜は眠れなかった。
不在票より怖かった、同窓会ハガキ
引きこもり期に怖い郵便物はいくつかある。
- 役所からの封筒
- 不在票
- 督促状
- NHKの書類
でも、自分の中で、これら全部より同窓会ハガキの方が怖かった。
役所の書類は、ルール通りに処理すれば止まる。督促状も、対応すれば消える。
同窓会は、違う。
- 対応しても、「出席します」か「欠席します」の二択
- 欠席しても、相手はこちらの存在を思い出し続ける
- 来年、再来年と、同じハガキが来る可能性がある
- 「なんで欠席?」と思われている想像が、止まらない
処理しても消えない、存在を思い出させ続ける郵便物だった。
「行かない」は、最初から選択肢にある
同窓会ハガキが来た時、最初の数時間、自分はなんとなく「行く前提」で考えてた。
- どういう言い訳をしよう
- 何を着ていこう
- 「今何してるの?」に何て答えよう
- 二次会は断ろう
でも、数時間考えて、気づいた。
「行かない」という選択肢が、最初からある。
ハガキが来たら行かなきゃいけない、というルールはない。欠席を伝えれば、それで終わる。伝えなくても、行かなければ、それで終わる。
この当たり前を、同窓会ハガキは、忘れさせるような書き方をしてくる。
「お待ちしてます」「久しぶりに会いましょう」「全員参加で」。
全部、行く前提の言葉。これに引っ張られて、「行かなきゃいけない気がする」状態に持っていかれる。
「みんな何してるんだろう」の想像で、十分苦しい
同窓会ハガキで一番消耗したのは、実際の会じゃなくて、ハガキが届いてから欠席を決めるまでの数日間だった。
その数日間、ずっと、「みんな何してるんだろう」を想像してた。
- Aくんは結婚して子供がいるらしい
- Bさんは大企業に就職した
- Cくんは起業したって聞いた
- 自分は、何してる?
実際の同窓会に行かなくても、頭の中で勝手に同窓会を開催してる状態だった。
頭の中の同窓会は、現実の同窓会より残酷だ。誰も本当の近況を知らないから、全員が成功してることにされる。そして自分ひとりが、そこに交ざれない。
この想像で、数日間、エネルギーが全部削れた。
返信不要のハガキは、捨てていい
同窓会ハガキには、返信ハガキがついてるパターンと、返信不要で「来たら来て」パターンがある。
返信不要パターンは、捨てていい。
何もしなくていい。欠席連絡も不要。当日行かなければ、それで終わる。
返信ハガキ付きの場合も、
- 「欠席」に丸を付ける
- 一言だけ「当日都合がつかず」と書く(書かなくてもいい)
- ポストに投函する
所要時間、10秒。
この10秒で、数日間の想像ループから解放される。早めに処理した方が、精神衛生上いい。
欠席の理由は、説明しなくていい
「なんで来ないの?」と個別に連絡が来るパターンもある(LINEとか)。
この時に、本当の理由を説明する義務はない。
- 「その日、ちょっと予定があって」
- 「体調が安定しないので」
- 「遠方に行ってて」
このレベルの一行で、十分。
嘘じゃない範囲で曖昧に答えて、それ以上会話を続けない。
相手が引き下がらない場合は、LINEを既読無視してよし。社交儀礼を完璧に守る義務は、引きこもり側にはない。
同窓会は、一生出なくていい
自分は、高校の同窓会も、中学の同窓会も、一度も出たことがない。
ハガキは、数年おきに来てた時期もあった。全部、返信欄に「欠席」で返したか、そのまま捨てた。
それで、人生が別に終わってない。
- 同級生と疎遠になる(もう既にそうだった)
- クラス幹事に「あいつ来ないな」と思われる(一度きりの話)
- 自分の現在地を共有せずに済む
失ったものより、守ったものの方が、たぶん多い。
同級生の人生と、自分の人生は、別の軌道
最後に、自分がたどり着いた考え方。
同級生の人生と、自分の人生は、18歳で枝分かれした別の軌道だ。
同じ教室で3年間を過ごしたからといって、同じ方向に進む必要はない。彼らが社会人コースに乗ったからといって、自分も乗る理由はない。
同窓会は、「同じコースを走ってる人の中間確認」のイベントだ。別のコースを走ってる人は、出なくていい。
別のコースを走ってることを、恥じる必要もない。
同窓会のハガキが来たら、「これは自分宛じゃないハガキだ」と思って、ポストに戻すか、引き出しにしまうか、捨てる。
それで、十分。