自分の苦しさ

「普通」という言葉が、一番怖かった

引きこもってる時期、一番怖かった言葉。

「働け」でも「甘え」でも「怠け」でもなかった。

「普通」だった。

「普通」は、一番うっすらしてて、一番重い

暴言の類は、刺さる時は刺さるけど、跳ね返せる時は跳ね返せる。

怒られたら、怒った方が悪い、で処理できる。

でも、「普通」は処理できない

「普通、働くよね」 「普通、このくらいの年なら就職してる」 「普通の人は、こういう時こうするよ」 「普通に暮らせばいいだけなのに」

この「普通」は、怒ってない、責めてない、単に事実として言ってる口調で、くる。

事実として言われると、反論の取っ掛かりがない。「普通じゃない俺が悪い」で、話が終わってしまう。

「普通」は、一番柔らかくて、一番深く刺さる言葉だった。

家族の「普通」と、社会の「普通」は、違う

「普通」を使う人には、大きく2種類あった。

家族が使う「普通」:

  • 「普通、親と話すよね」
  • 「普通の家は、こんなに暗くない」
  • 「普通、この年で仕事はしてる」

社会が使う「普通」:

  • 「普通の人は、通勤できるのが当たり前」
  • 「普通、面接で緊張しても受け答えはできる」
  • 「普通のコミュニケーションが取れれば、どこでも働ける」

家族の「普通」は、自分の家族の中だけの基準

社会の「普通」は、世間一般の中央値

実はこの2つは、重なる部分もあるけど、完全には一致しない。

でも、引きこもりの脳の中では、家族の「普通」=社会の「普通」=絶対基準、として、一つに合体してしまう。

「普通じゃない」と認めた瞬間、楽になった

自分が楽になったきっかけは、「普通じゃない」と自分で認めた瞬間だった。

普通に働けない。普通に人と話せない。普通に朝起きられない。普通に結婚なんて無理。

全部、普通じゃない。

じゃあ、普通じゃないまま、どうする?

この問いに変わった瞬間、頭の中の敵が変わった。

これまで: 「普通になるために、どうするか」 これから: 「普通じゃないまま、どう生きるか」

前者は無限に苦しい。普通に近づこうとしても、普通の基準が遠すぎて、一歩動くごとに消耗する。

後者は、ゼロから、自分の生き方を設計する話になる。「普通」という既製の枠を使わずに、自分用の枠を作る。

これは、消耗じゃなくて、構築だった。

普通の外にも、生活は普通に続く

「普通」から降りると、外が暗闇だと思ってた。

普通からハズれたら、生活が破綻して、死ぬんじゃないか、みたいな漠然とした恐怖。

実際には、普通の外にも、普通に生活が続いてる人が、たくさんいる。

  • 在宅で個人事業だけで生きてる人
  • 結婚もしない・恋人もいない人
  • 週3しか働かない人
  • 夜型生活で回してる人
  • 家族と最低限しか話さない人

これ全部、「普通」の中央値からはズレてる。でも、普通に生きてる

普通の外=生活の外じゃない。

普通の外には、普通の外の生活がある。そして、その生活は、人によっては、普通の中の生活より楽だったりする。

普通を諦めると、選択肢が増える

「普通」に執着してると、選択肢がどんどん減る

  • 「普通の仕事」しかできない
  • 「普通の結婚」しかできない
  • 「普通の住まい方」しかできない
  • 「普通の人付き合い」しかできない

普通を諦めると、急に選択肢が広がる

  • 仕事: 普通の会社員じゃなく、業務委託、個人事業、アフィリ、クラウドソーシング
  • 住まい: 実家、一人暮らし、シェアハウス、海外移住、定住しない
  • 人間関係: 家族のみ、オンラインだけ、最低限の知り合い、完全にひとり

普通を辞めた人間のための生き方が、普通を守る生き方の隣に、普通にある。

引きこもりが「普通」に戻ろうとして潰れるのは、普通の外にある選択肢を、知らないまま、必死に普通の中に戻ろうとしてるから。

普通から降りた人が、意外と多い時代

これは感覚の話だけど、2020年代の日本、「普通」から降りた人が、昔より増えてる気がする。

  • 終身雇用を選ばない若者が増えた
  • 結婚・出産を選ばない層が増えた
  • 地方移住・海外移住が増えた
  • FIREで早期リタイアする人が増えた
  • フリーランス・個人事業が増えた

「普通」の中央値が、どんどん拡散してる

つまり、引きこもりが「普通じゃない」と感じてる自分の生き方も、実は世の中の「普通」の分布の片端にある、という可能性がある。

昔の基準では普通じゃなかった生き方が、今の基準では「選択肢のひとつ」になってる。

この変化は、引きこもりにとっては、追い風だと思う。

普通から降りた地点に、別の普通がある

最後に。

普通から降りた時、最初は、「自分は異常者」という自己認識になる。

でも、降りた先に数年住んでみると、そこに、別の普通があることに気づく。

降りた地点の人たちにとっては、降りてる状態が普通。普通に引きこもってて、普通に在宅で稼いでて、普通に最低限の人付き合いで生きてる。

自分も、最初は異常者のつもりだったけど、今は、この生き方が自分の普通になってる。

降りた先の普通に、生活を組み直す。それだけで、十分、生きられる。

「普通になれ」は、正しくない。「別の普通を、自分で定義していい」。これが、たぶん、一番正確な話だ。