自分の苦しさ

女性の引きこもりは見えにくい、と聞いて思うこと

「引きこもり」って言葉でなんとなく思い浮かぶ姿は、たぶん長いあいだ男だった。

自分も当時、ニュースで引きこもりの特集を見ると、出てくるのは中年男性の後ろ姿ばっかりだった気がする。

でも統計を見ると、そのイメージはだいぶ偏っていたらしい、という話を最近知った。

「引きこもり=男」というイメージはどこから来たのか

内閣府の調査で、日本の引きこもりは推計146万人とされている(2022年、広義の引きこもり、15〜64歳が対象)。

このうち、ちょっと前まで「引きこもりはほぼ男」みたいな空気が確かにあった。2018年の中高年向けの調査では、引きこもり状態の人の8割近くが男性だった、というデータが出ていて、自分もどこかでそういう数字を見た記憶がある。

だから「引きこもり=男の問題」というイメージは、別に誰かが悪意で作ったわけじゃなくて、当時のデータの見え方とそんなにズレてはいなかった。

ただ、その「見え方」のほうに、最初から穴があったんじゃないか、という話がある。

2022年の調査で景色が変わった

2022年の調査では、中高年の引きこもりに占める女性の割合が、それまでよりかなり増えた。半数近くまで上がった、という報道もあった。

正確な数字は出典によって幅があるので、ここで小数点まで言い切るのはやめておく。ただ、ざっくり「女性が大きく増えた」「半々に近づいた」という方向性は、あちこちで言われている。

これを「女性の引きこもりが急に増えた」と読むこともできるけど、もうひとつの読み方があるらしい。

もともと同じくらいいたのに、これまで数えられていなかっただけ、という読み方。

自分は外から想像するしかない立場だけど、この後者の読み方のほうが、なんとなく腑に落ちた。

「家事手伝い」という枠に消えていく

なぜ女性の引きこもりが数えにくかったのか。よく指摘されるのが「家事手伝い」「専業主婦」という枠の存在だ。

家にいる男が平日の昼間にずっと家にいると、「あいつ何してるんだ」という視線が向きやすい。でも家にいる女が同じことをしていると、「家のことをやってる」と解釈されて、それ以上掘られにくい、という構造があるらしい。

  • 外で働いていない → 「家事手伝いだから」
  • 人と会っていない → 「家庭的な人だから」
  • 昼間ずっと家にいる → 「主婦だから」

こうやって、本人は苦しくて動けないのに、まわりの言葉が先に「説明」をつけてしまう。説明がつくと、問題として見えなくなる。統計の網にもかからないし、支援の対象としても浮かんでこない。

自分は男だったから、逆に「働いてないこと」が露骨に目立った。それはそれでしんどかったけど、少なくとも「これは問題だ」と周りには認識されていた。

女性の場合、その「問題として認識される」手前で話が止まってしまうことがある、というのは、自分が経験していない種類のしんどさだと思う。

見えないことは、ラクではない

「家事手伝いってことにしてもらえるなら、責められなくて済むんじゃないの」と思う人もいるかもしれない。

でも、たぶんそう単純じゃない。

責められないことと、苦しくないことは、別の話だ。むしろ「あなたは問題ない側だよ」という顔をされ続けると、自分が苦しいと言い出すタイミングそのものを失うことがある。

自分も当時、「お前は健康なんだから」「まだ若いんだから」と言われるたびに、苦しさを口に出す資格を削られていく感覚があった。男女で事情は違うけど、「お前は問題ない側だ」という扱いが、かえって声を封じる、という構造は、たぶん地続きだ。

見えないというのは、放っておいてもらえるという意味じゃなくて、苦しさのほうが先に存在しないことにされる、という意味でもある。

自責の深さは、男女で地続きだと思う

引きこもっていた頃、自分をいちばん追い詰めたのは、外からの非難そのものよりも、「こうなってるのは自分が弱いからだ」という内側の声だった。

たぶんこれは、性別に関係なく効いてくる。

  • 自分だけがこうなってる気がする
  • まわりはちゃんとやれてるのに自分だけできない
  • これは甘えで、本当は自分の責任なんじゃないか

この手の声は、男の自分にも刺さっていたし、女性の当事者にも形を変えて刺さっているんだと思う。むしろ「家事手伝いとして納得されてしまう」ぶん、外から自責を打ち消してくれる材料が少なくて、内側の声が長く居座りやすいのかもしれない。

ここは自分が体験していない領域なので、断言はしない。ただ、見えにくさが自責を深くするという方向は、たぶん男女でつながっている。

数字を知っておくと、自責が少しだけ薄まる

自分が当時、引きこもりの統計を見て少しラクになったのは、「自分は珍しくない」と思えたからだった。

同じことが、たぶん女性の当事者にも言える。

「引きこもりは男の問題で、自分は引きこもりにも入れてもらえない」と思っていた人が、「いや、女性も同じくらいいて、ただ見えにくくされていただけだ」と知ると、自分の状態にちゃんと名前がつく

名前がつくと、「自分が変なんじゃなくて、見え方のほうに偏りがあった」という方向に、ほんの少し責任の置き場をずらせる。

これは「だから動かなくていい」という話じゃない。ただ、自責の量が一段下がるぶんだけ、夜が静かになって、自分にできることを探す余白が生まれる、という話だ。

見えにくい人の数だけ、逃げ道も見えにくい

最後にひとつだけ。

引きこもりの「見えにくさ」がやっかいなのは、苦しさが見えないと、そこから抜ける道も同じくらい見えなくなることだ。

問題として認識されないと、「家でできること」「人と会わずに稼ぐ方法」みたいな逃げ道の情報も、その人のところまで届きにくい。家事手伝いだと思われている人に、誰もそういう話を持ってこない。

だから、せめて情報のほうは、男のイメージに引っ張られすぎないでおきたいと思っている。家から動けないしんどさ自体には、性別の境目なんてたぶんない。

自分は外から想像するしかない。でも、見えにくくされてきた人がいるなら、その人にも届く書き方をしておきたい、とは思う。


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