自分の苦しさ

海外に引きこもりが少ない、と聞いて思うこと

「海外には引きこもりという概念がほとんどない」「ヒキコモリは日本特有の現象だ」と、よく言われてきた(実際は韓国や香港、フランスなどでも報告事例があるので、完全に日本だけの話ではないらしい。ただ相対的に日本に多いとは言われている)。

このフレーズを最初に読んだ時、自分はまだ家から出られない時期だった。

「日本特有」と聞いて、最初は腹が立った

この話を最初に知ったのは、たぶんネット記事だった。海外メディアが「Hikikomori」をそのままローマ字で英語の見出しに使って、日本に多く見られる社会現象として紹介してた、みたいな話。

正直、最初に読んだ時の感想は、「こっちは苦しんでるのに外から物珍しがられてる」みたいな、軽い苛立ちだった。

「日本特有」と言われると、なんだか自分の苦しみが日本ローカルの奇習扱いされてる感じがして、あんまり気持ちよくなかった。

ただ、その後しばらくして、自分が日本を離れて暮らすようになって、この「日本特有」の中身が、少しずつ体感としてわかってきた

海外で暮らして、初めてわかった「日本の重さ」

これは引きこもりから抜けたあとの話なので、布団の中の自分には届かない景色かもしれないけど、書いておく。

日本を離れて、東南アジアや欧米の街でしばらく暮らしてみて、最初に思ったのは「人の目の重さが違う」だった。

日本にいると、

  • コンビニの店員にどう見られてるかが気になる
  • すれ違う人の視線が気になる
  • 電車の中で本を読んでる人の前を横切るのが気になる

このあたりが常時オンになっている。誰も自分のことなんて気にしてないと頭ではわかっていても、社会全体が「他人の目を意識する」にチューニングされてるから、自分だけオフにできない。

海外の街にいると、これがすこしオフになる。

  • そもそも誰も他人を見てない
  • 見てたとしても、視線の意味が違う(関心はあっても評価ではない)
  • 「迷惑をかけない」のラインが日本よりだいぶ緩い

これが、引きこもり当時の自分が感じていた「外が怖い」の正体に、結構近かった。

「家を出る」のハードルが、国によって全然違う

もう一つ、海外で暮らして気づいたのは、「家を出ること」自体のハードル設定が国によって全然違うということ。

日本だと、家を出る時に、

  • 服はちゃんとしてるか(部屋着で出ると変な目で見られる)
  • 髪は整ってるか
  • ヒゲは剃ったか
  • マスクは持ったか

このあたりを最低限クリアしないと、コンビニにも行きづらい。

東南アジアの街にいた時、これが全部要らなかった。サンダル、Tシャツ、寝癖そのまま、ヒゲもそのまま、それで近所のローカル店に飯を食いに行ける。誰も気にしない。気にしないというより、気にする文化がそもそもない

これは「だから海外がいい」という話ではなくて、外に出る時のチェックリストが多い社会で生きてれば、家を出る回数が減るのは自然、という構造の話。

日本は、「ちゃんとして外に出る」のチェックリストが、世界の中でもかなり厳しい部類だと思う。チェックリストに耐えられない人が一定割合家にこもるのは、本人の問題というより、ハードルの高さの問題に見える。

「子供が独立して当たり前」の社会

もう一個、よく言われるのは、欧米だと18歳前後で家を出るのが標準とされてきた、という話。

これは単純な比較が難しい(欧米でも親と同居する若者は増えてる)し、文化圏によってもバラつくけど、「成人したら家を出る」が標準設定の社会と、そうじゃない社会では、引きこもりの発生のしやすさは確かに変わる

日本では、成人しても親の家に住んでていい、というか、住んでる人が多い。これ自体は悪い話じゃないし、家賃も浮く。

ただ、「家にいる選択肢」が標準化されている社会では、引きこもり状態に滑り込みやすいのは事実だと思う。家を出る理由が制度的にも文化的にも弱いから、出ないという選択が継続しやすい。

これも、本人の意志の弱さじゃなくて、社会の構造が引きこもりという状態を作りやすい/作りにくい、という話。

「日本特有」は、本人を救う情報だった

ここで話を戻すと、最初は腹立たしかった「日本特有」というフレーズが、自分の中で意味が変わったのは、自分のせいじゃなくて土地のせいだ、と思えるようになったからだった。

  • 同調圧力が強い
  • 他人の目のチューニングが厳しい
  • 家を出る時のチェックリストが厳しい
  • 「家にいる選択肢」が標準化されている

こういう構造の中に長くいたら、自分みたいな気質の人間が引きこもるのは、わりと自然な反応に見えてくる。

これは「自分が弱いからこうなった」じゃなくて、「日本という構造の中で、たまたま噛み合わなかった」という話。

そう思えると、自責の量がまた一段下がる。

だから海外行け、とは言わない

ここで一応書いておくと、「だから海外に行こう」ではない

引きこもってる時期の自分に「海外に行けば楽になるよ」と言っても、それはコンビニに行けない人に「ハワイに行けば」と言ってるようなもので、当時の自分はびくともしなかったと思う。

海外に行く話は、もっと先の段階の選択肢で、いま家から出られない自分には関係ない。

ここで言いたいのはもっと小さい話で、

  • 自分が引きこもってるのは、日本という土地の構造とも関係している
  • 自分の人格が異常だからじゃない
  • 海外に行けば治るとも思わないけど、土地の影響は確かにある
  • だから、自分を責める強度は、もう一段下げていい

このあたりが落とし所。

数字や比較は、自責解除の道具

引きこもりの統計を見ても、原因を整理しても、海外比較を見ても、最終的にやってるのは同じ作業で、「自分を責める強度を一段下げる」という、それだけのこと。

日本にいて家から出られないのは、自分のせいだけじゃない。土地のせいでもある。気質のせいでもある。たまたま噛み合わなかったいくつかの構造のせいでもある。

そう整理がつくと、夜の検索ループが少し短くなる。

それで、いい。


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