「なぜ引きこもりになったのか」を、自分なりに整理した話
「なぜ自分は引きこもりになったのか」。
これも、夜中に天井見ながら何回もやった問いだ。
一個の原因に絞ろうとして、全部失敗した
引きこもってる時期、原因を一個に絞ろうとしてた時期がある。
- あの時の不登校が悪かったのか
- あの会社が悪かったのか
- 親の育て方が悪かったのか
- 自分の性格が悪かったのか
順番に犯人を立てて、順番に「いやでも違うな」と却下していく作業を、何ヶ月もやった。
結論から言うと、原因を一個に絞る作業は、自分の場合は全部失敗した。
どれか一つを犯人にすると、必ず「でもあれだけが原因なら、自分以外にも引きこもってる人がもっと出るはず」みたいな反例が浮かぶ。逆に「全部自分が悪い」にすると、今度は自分の他の経験(似たような環境で引きこもってない人がいる)と矛盾する。
要するに、原因は一個じゃなかった。
きっかけ別の整理を見て、ちょっと安心した
そのうち、引きこもりに至るきっかけには複数のパターンがある、という整理を読むようになった。
ざっくり言うと、
- 学校でつまずいてそのまま家に(不登校が長引いた経路)
- 就職してから会社で消耗して家に(退職後の引きこもり)
- 対人ストレスが慢性的に強くて家に(対人不安が背景)
- うつ・発達特性などの背景があって家に(医療的支援が要る経路)
実際にはもっと細かい整理もあるし、複数のパターンが重なる人も多い、という話だった。
これを読んだ時に、自分の中で起きたのは、「あ、自分は単独犯じゃなくて共犯のせいでこうなってるのか」という安堵だった。
学校でちょっとつまずいた経験がある(不登校の要素)。会社で潰れた経験もある(退職の要素)。元から人と話すのは苦手だった(対人不安の要素)。たぶん多少の特性もある(特性の要素)。
全部が少しずつ重なって、自分の場合の引きこもりになっていた。
これは、自分一人を犯人にする物語より、ずっと納得できた。
構造の問題、と思えると自責が軽くなる
ここで一個大事な気付きがあって、こうした整理を見ていると、どれも個人の意志の弱さでは説明されてない。
不登校の経路は、学校という制度と本人の相性の問題。退職の経路は、職場の構造と本人の負荷の問題。対人不安の経路も、本人の気質と環境の組み合わせ。
つまり、引きこもりは「本人がだらしないからなる」という話じゃなくて、環境と本人の組み合わせがたまたま噛み合わないとなる、構造の話に近い。
これを自分の話に戻すと、
- 学校という構造と自分の気質がたまたま合わなかった
- 会社という構造と自分の体力がたまたま合わなかった
- 日本社会の同調圧力と自分の感覚がたまたま合わなかった
合わなかったものが、合わないなりに積み重なって、家から出られなくなった。
これは自分の意志が弱いからじゃなくて、たまたま合わない構造の中に長くいすぎた結果、ぐらいの理解で良かった。
「だから治そう」には繋がらなかった
ここで強調しておきたいのは、自分の場合、この理解は「だから治そう」「だから克服しよう」には全然繋がらなかったということ。
原因が分かったからといって、明日から学校に戻れるわけでも、会社に戻れるわけでもない。気質も特性も、急に変わるわけじゃない。
ただ、「だから自分を責めなくていい」には、ちゃんと繋がった。
夜中に「自分は何でこうなったんだろう」とぐるぐる考える時間が、「まあ、合わない構造の中に長くいたからな」で済むようになった。
ぐるぐるが短くなる、というだけのことだけど、引きこもりの夜にはそれで結構な違いがある。
原因を整理する目的は、犯人探しじゃなかった
途中で気づいたのは、自分が原因を整理してた目的は、誰かを犯人にするためじゃなくて、自分の内側のぐるぐるを止めるためだった、ということ。
親を犯人にしても、自分を犯人にしても、社会を犯人にしても、ぐるぐるは止まらなかった。
止まったのは、「複数の構造がたまたま重なっただけで、誰か一人が悪いわけじゃない」と整理がついた時だった。
これは、犯人を一人決めるんじゃなくて、犯人を全員に薄める作業だった気がする。
全員に薄めると、自分への配分も減る。社会への配分も減る。親への配分も減る。誰のせいでもなく、ただそうなった、という結論になる。
「自分のせいじゃない」までで止めていい
原因論をやると、「じゃあどう改善するか」という話に行きがちだけど、自分の場合は「自分のせいじゃない」まで行ったところで止めて良かったと思っている。
そこから先の「だから治そう」は、自分の内側から自然に湧いてくるなら湧いてきて、湧いてこないなら別に湧いてこなくていい。
引きこもってる時期に、原因を整理する一番の効用は、夜のぐるぐるが少し短くなることで、それ以上の効用は副次的でいい。
まとめのようなもの
自分なりの整理を書いておくと、
- 引きこもりの原因は、一個に絞れない
- 学校・職場・家庭・気質などが複数重なって発生する
- どれも個人の意志の弱さでは説明されてない
- だから「自分が悪い」は事実より重く見積もりすぎ
- 「だから治そう」じゃなくて「だから責めなくていい」で止めていい
これを書きながらも、当時の自分には届かないかもしれない、と思っている。あの頃の自分は、こういう整理を読んでも「でも結局自分が悪いんだろ」と返してきた気がする。
ただ、何度も同じような話を別角度から読んでいくうちに、自責の量だけは少しずつ減っていったので、これもその「何度か読む」のうちの一回になればいいぐらいで書いている。
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