引きこもりの罪悪感がつらい。甘えなのか?元当事者が罪悪感を減らせたこと
先に言うと
- 自分の場合、罪悪感は「気の持ちよう」では減らなかった。減ったのは、罪悪感がどこから来ているかを分けて、一つずつ手を打ったときだった
- いちばん大きかった出どころは、親のお金。自分で少しお金を作れるようになって、だいぶ軽くなった
- 「甘えなのか」は、考えるほど自分を責める材料になる問いだった。国の資料も、引きこもりを本人の性格の問題としては扱っていない
家にいるだけで申し訳ない。起きた瞬間から「また今日も」と思う。親の顔を見るたびに、自分はこの家に寄生している気がする。
引きこもっていた頃、自分はずっとこういう罪悪感の中にいた。その罪悪感がどこから来ていたのか、何をしたら減ったのかを書く。
罪悪感は、ひとつの塊じゃなかった
当時は、罪悪感を「自分がダメだから感じるもの」だと思っていた。だから、気持ちを強く持てば消えるはずだ、とも思っていた。消えなかった。
あとから振り返ると、自分の罪悪感は一つの塊ではなく、いくつかの出どころに分かれていた。
- 親のお金:何を買うにも親の財布から出る
- 朝:昼に起きるたびに「だらしない」と思う
- 「働け」という言葉:言われるたびに、働けなかった過去ごと否定される気がする
- 体調:病気になると、病院代がかかることまで申し訳なくなる
- 人への迷惑:配達員や家族に手間をかけている気がする
出どころが違えば、効くことも違った。まとめて「罪悪感をなくそう」としていた頃は何も変わらなかったのに、一つずつ見るようになってから、減るものが出てきた。
「甘えなのか」に、国の資料はどう書いているか
「引きこもり 甘え」と検索すると、甘えじゃないと言う記事と、甘えだと言う書き込みの両方が出てくる。自分も、どっちなのか確かめたくて何度も検索した。
国の資料ではどう扱われているか。厚生労働省の「ひきこもり支援施策について」では、2010年の「ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン」の定義を紹介したうえで、こう説明している(要約)。
- ひきこもりは現象や状態像であって、その人そのものではない
- 本人は「生きるため」に、ひきこもり状態にならざるを得ない
- ひきこもっている間も、悩み、考え、苦しんでいる
出典:厚生労働省「ひきこもり支援施策について」
また、内閣府の2022年度の調査では、引きこもり状態にある人に「外出が減った最も大きな理由」を聞いている。15〜39歳で多かったのは、退職、人間関係がうまくいかなかった、コロナ、病気、中学校時代の不登校(それぞれ1割前後)。40〜69歳では、退職が4割を超えていた。
出典:内閣府「こども・若者の意識と生活に関する調査(令和4年度)」
上に来ているのは、退職、人間関係、コロナ、病気といった「何かが起きたこと」だ。これだけで甘えかどうかが決まるわけではない。ただ、少なくとも「怠けたくて家にいる人の集まり」という像とは、だいぶ違う。
「甘えなのか」は、考えるほど自分を責める問いだった
自分にとって、「これは甘えなのか」という問いは、答えを出すための問いではなかった。
「甘えじゃない」という記事を読んでも、「でも自分の場合は甘えかもしれない」と返してしまう。「甘えだ」という書き込みを読めば、やっぱりそうだと思う。どっちを読んでも、最後は自分を責める材料になった。
コロナの時期に世の中がまとめて家にこもったとき、それまで自分に貼られていた「サボってる、甘えてる、逃げてる」という言葉が、急に意味をなくしたことがある。自分の行動は何も変わっていないのに、「家にいる」が正しい側に移った。そのとき、自分を責めていた言葉の多くは、自分の中身ではなく状況に貼られていたのかもしれない、と思った。
自分が楽になったのは、「甘えかどうか」に答えを出したときではなく、「なぜ引きこもったか」を整理して、「自分のせいじゃない」まで考えたところで止めていいと思えたときだった。学校、会社、気質。合わないものが重なっただけで、誰か一人が悪いわけじゃない。犯人を一人に決めず、全員に薄めると、自分への配分も減った。
罪悪感を減らせたこと
ここからは、出どころごとに、自分に効いたことを書く。
親のお金:お金の出どころを、自分に変えた
いちばん重かったのは、これだった。
コンビニの弁当も、シャンプーも、漫画も、ぜんぶ親の財布から出ていた。出してもらったあとに残るのは、感謝ではなく、罪悪感と自分への失望だった。ゲームに課金するたびに「この金、親からもらったやつなんだよな」と頭の中で声が鳴る。通販の段ボールが部屋に積まれるのを見るたびに、「親の金で何をやってるんだろう」と思う。
変わったのは、ポイ活で少しずつ自分のお金を作れるようになってからだった。同じ3,000円でも、親からもらった3,000円と、自分で引いてきた3,000円は重さがまったく違った。前者は「ありがたい」と「申し訳ない」が混ざっている。後者は、ただの自分のお金だった。
ポイ活のポイントで初めてゲームに課金したとき、課金した額は前と同じなのに、罪悪感がなかった。出たキャラは大したことなかったけど、それまでで一番楽しい10連だった。
使う量を減らすより、お金の出どころを変える方が、自分には効いた。
朝起きられない:起きた時間を「自分の朝」と呼んだ
昼に目が覚めて、「また、今日も」と思う。これが毎日あった。
効いたのは、世間の朝と自分の朝を別の時計だと考えることだった。出勤も通学もしていない人間が、世間と同じ時間に起きる理由は、もともとない。昼に起きたなら、それが自分の朝。そう呼ぶようにしてから、「昼に起きる=罪」という感覚が薄くなった。
一番やめてよかったのは、「朝6時に起きていたら」という、いない自分との比較だった。比べても、現実の自分を殴るだけで、早く起きられるようにはならなかった。
「働け」:「働いている」の定義を、自分で広げた
家族の「働け」は、怒鳴られるより、淡々と言われる方が刺さった。働こうとして潰れた過去ごと「甘え」に変えられる気がした。
これには二つのことが効いた。一つは、正論で言い返すのをやめて「うん」「そうだね」で会話を短く終わらせること。もう一つは、「働いている=会社に勤めている」ではなく「自分で何かしらのお金を引いてきている」と、定義を自分で決め直したことだった。少し稼げるようになったのを親がなんとなく察し始めた頃から、「働け」と言われる回数も減っていった。
人への迷惑:想像していた迷惑は、実際と合っていなかった
置き配や営業所受取を使い始めた頃、「配達員に手間をかけさせている」と思っていた。でも実際には、置き配はむしろ配達員の負担が軽い。不在の確認がいらないからだ。
自分が勝手に想像していた迷惑は、実際とほとんど合っていなかった。罪悪感の中には、こういう思い込みも混ざっていた。
自分だけじゃない、と知った
内閣府の調査で、引きこもりの人が推計146万人いると知ったとき、生活は何も変わらなかった。翌日も布団から出られなかった。それでも、「自分は世界に取り残された一人」という考えは、少し弱まった。
数字がくれたのは、「自分を責める強度を一段下げていい」と思えたことくらいだった。それでも、夜が少し静かになった。
効かなかったこと
- 気持ちを強く持とうとすること。 罪悪感を気合いで消そうとしても、消えなかった
- 自分を責めて、動く力にしようとすること。 「このままじゃ駄目だ」と追い込めば動けると思っていたけど、責めるほど動けなくなった
- 「甘えかどうか」の答えを探し続けること。 どちらの答えを読んでも、最後は自分を責める材料になった
罪悪感が強い夜に、やっていいこと
- 今夜は、罪悪感の出どころを一つだけ書き出してみる。 親のお金なのか、朝なのか、言われた言葉なのか。全部を一度に何とかしなくていい
- 「甘えかどうか」の検索は、今夜はここで止めていい。 答えが出る問いではなかった
- お金が出どころなら、話さずにできるお金の手段を一つだけ調べてみる。 自分の場合はポイ活だった(ポイ活って危ないのか、ニートのポイ活の現実的な月収)
- 明日起きた時間を、明日の朝と呼ぶ。 何時でもいい
よくある疑問
罪悪感があるうちは、まだマシなの?
そういう言い方をされることがあるけど、自分はそうは思わない。罪悪感は、動く力にはならなかった。減ったぶんだけ、少し動けるようになった、というのが自分の実感だ。
家族に申し訳なくて、何も言えない
自分も、親にお金を頼むことすらできなくなった時期がある。髪も切らず、欲しいものも「別にいらない」ことにしていた。言えないなら、言わずに済む形を一つ作るのも手だと思う。自分の場合は、それが自分で作る小さなお金だった(親に小遣いをもらえなかった頃の話)
罪悪感で、消えたいと思ってしまう
そこまで来ているなら、一人で抱えなくていい。電話が無理でも、SNSやチャットで相談できる窓口がある。厚生労働省の「まもろうよ こころ」に、電話・SNSの相談窓口がまとまっている。
引きこもりから抜け出したら、罪悪感は消える?
自分の場合は逆で、外に出られるようになるより先に、罪悪感の方が減った。抜け出すきっかけについては、こっちにまとめた → 引きこもりを抜け出すきっかけは?
まとめ
- 罪悪感は一つの塊ではなく、親のお金・朝・「働け」・体調・人への迷惑など、出どころが分かれていた
- 国の資料は、引きこもりを「その人そのもの」ではなく状態として説明している。外出が減った理由の上位は、退職・人間関係・コロナ・病気
- 「甘えなのか」は、答えを探すほど自分を責める材料になる問いだった
- 自分に一番効いたのは、お金の出どころを親から自分に変えること。次に、起きた時間を自分の朝と呼ぶこと、「働いている」の定義を自分で決めること
- 自分を責めても、動く力にはならなかった
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