引きこもりで外に出るのが怖い。元当事者が怖さを中身ごとに分けて、怖いまま出られた方法
先に言うと
- 自分の場合、「外が怖い」は一つの怖さじゃなかった。店員との会話、知っている顔、近所の人、顔を見られること、平日昼の自分。分けてみると、それぞれ避け方が違った
- 怖さは消えなかった。消そうとするのをやめて、時間帯・セルフレジ・置き配・マスク、最後は地元を離れることで、「怖くならない通り道」を選んだ
- 国の調査では「近所のコンビニなどには出かける」人も、引きこもりの定義に入っている。コンビニに行けても行けなくても、どちらかがおかしいわけじゃない
「外が怖い」と言うと、多くの人はまず駅や街中を思い浮かべるらしい。自分にとって一番怖かったのは、徒歩3分のコンビニだった。
「少しずつ外に出てみよう」という助言は多い。でも、何が怖いのかが分からないまま「外」に出ようとしても、どこから手をつければいいのか見当がつかない。自分の「外が怖い」を中身ごとに分けて、それぞれをどう避けたか、何が今も怖いままかを書く。
外に出る前に何が効いたか、という全体の流れは、こっちにまとめてある → 引きこもりを抜け出すきっかけは?元当事者が「外に出る前」に効いたこと
国の調査は「外に出られない」をどう区分しているか
内閣府の調査では、「近所のコンビニなどには出かける」状態が6か月以上続いている人も、ひきこもりに数えられている。過去の調査では、「趣味の用事のときだけ外出する」より重い「狭義のひきこもり」の側に入っていた。コンビニに行けるなら引きこもりじゃない、という線の引き方を、国の調査はしていない。
出典:厚生労働省「ひきこもり支援施策について」(内閣府「生活状況に関する調査」「こども・若者の意識と生活に関する調査」の定義)
同じ引きこもりの中でも、部屋からほとんど出ない人もいれば、コンビニには行ける人もいる。「外が怖い」の中身も、人によって、時期によって違うということだと思う。
「外が怖い」を、中身ごとに分けてみる
「外が怖い」と一言で言っても、自分の場合、中身はだいぶ別々だった。
- 店員とのやりとり:「いらっしゃいませ」、レジで向き合うこと、お金を出す手が震えたらどうしようという想像
- 後ろに並ぶ人、混んでいる気配:背後に人がいるだけで怖い
- 知っている顔:地元で同級生に会うこと。「今、何してるの?」と聞かれること
- 近所の人:ゴミ出しのときにすれ違って、「おはようございます」を言う瞬間。言ったあとの表情や沈黙
- 顔を見られること:表情を読まれる、口元の緊張が外に出る
- 平日昼の自分:世間が働いている時間に、伸びっぱなしの髪とよれたジャージでいる自分
- 向こうから来る外:インターホン、電話、同窓会のハガキ。部屋にいても、外は入ってきた
「人の目が怖い」と一言で言っても、店員の目と、同級生の目と、近所の人の目では、怖さの種類が違った。だから、効く避け方も違った。
部屋からの距離で並べた、自分の怖さと通り道
部屋から近い順に、場所ごとに並べるとこうなる。
| 場所 | 怖かったこと | 自分が使った通り道 | 今はどうか |
|---|---|---|---|
| 部屋の窓 | 平日昼の光と外の音。外から見られている気がする | 厚手のカーテンは閉めて、レースカーテンだけ開ける | 今でも閉め切って過ごす日がある |
| 玄関 | インターホン。知らない人に「はい」と返事する数秒 | 置き配、コンビニ受取、営業所受取 | 予期しないインターホンは、今でも一瞬緊張する |
| 家の前(ゴミ置き場) | 近所の人とすれ違って、あいさつすること | 時間をずらす、マスクやフード、重い日は親に代わってもらう。一人暮らしでは建物内にゴミ置き場がある物件を選んだ | 今でもゴミ出しの日は少し身構える |
| 近所のコンビニ | 「いらっしゃいませ」、レジ、後ろに並ぶ人 | セルフレジのある店だけ使う、空いている時間(午前10時前、深夜)、日用品はAmazon | 混んでいるコンビニには入らない。ただ「空いている時に行けばいい」くらいの話になった |
| 地元の町 | 同級生に会うこと | 時間帯をずらす、隣の駅の店を使う、マスクや帽子、土日は家にいる。最終的に地元を離れた | 会うのが怖いのは治っていない。会わない工夫で回している |
出典:自分の経験(下の各記事)
並べてみると、怖さは部屋からの距離に比例していなかった。徒歩3分のコンビニが駅や街中より怖い場所だったし、家の前のゴミ出しは、コンビニより重い定例行事だった。
自分がやったのは、近い場所から順に慣らしていくことではなく、怖さの種類ごとに、怖くならない通り道を選ぶことだった。
怖さごとに、自分がやったこと(カゲの場合)
店員との会話:喋らずに済む通り道を選んだ
引きこもっていた頃、コンビニに入るのは、自分にとって初めての海外出張に行くぐらいのハードルだった。コンビニに行くことを考えるだけで、動悸がした。
有人レジでは、たった5秒の会計のあいだに「袋はご利用ですか」「温めますか」「お箸は何膳」と、最大6つくらいの質問が来る。どれも「はい」「いいえ」で済む。でも、相手の目を見て、声を出して、タイミングよく答える負荷が一気に来る。当時の自分は、会計5秒で1時間分ぐらいのエネルギーを使っていた。
だから、セルフレジがあるコンビニだけを使うことにした。セルフレジを見たとき、正直、泣きそうになった。商品をスキャンして、画面をタップして、機械に払う。店員の「ありがとうございました」に会釈するだけで済む。
裏返せば、セルフレジがない店は、避けていい店になった。有人レジしかない小さなスーパーや、口頭で注文する古い定食屋には行かない。喋らずに済む通り道がある店だけを使う。
混んでいる店:時間帯をずらした。でも別の怖さが出た
よくやっていたのが、店の前まで行って、混んでいる気配を感じて通り過ぎ、少し離れたところでうろうろして、もう一回近づいて、やっぱり入れないまま、何も買わずに帰る、というパターンだった。真面目に3往復した日もある。
夜中の2時や3時なら空いているだろうと思って、深夜に行くようになった。すると今度は、店員と一対一になるのが怖くなった。
時間帯をずらすのは効いた。ただ、一つの怖さを避けると、別の怖さが前に出てくることもあった。最終的には、組み合わせで落ち着いた。混まない時間(午前10時前、深夜)を狙い、セルフレジのある店を選ぶ。日用品はAmazonで頼んで、コンビニに行くのはどうしても今日必要なものだけにする。
知っている顔:会わない工夫をして、最後は地元を離れた
一番避けたかったのは、地元のコンビニで昔の同級生とばったり会うことだった。
怖かったのは、「今、何してるの?」という一言。悪気のない社交辞令でも、こちらにとっては「自分の現在地を説明できる言葉で答えろ」という要求になる。「働いてる」は嘘になるし、「ニート」と自分で言うのはきつい。どれを選んでも、そのあとの会話がしんどい。このしんどさを避けるために、地元のコンビニに行かなくなった時期がある。
地元にいたころ使っていた工夫はこうだ。
- 時間帯:同級生が働いている平日の9〜17時は、むしろ町に出やすかった。朝夕の通勤時間と、夜の飲み会の時間を避ける
- 店を分散する:近所のコンビニではなく、隣の駅の駅ナカを使う
- 格好:マスク、帽子、眼鏡、フードで、遠目に気づかれないようにする
- 土日は家にいる:土日の繁華街が、一番会いやすい
会ってしまったときのために、「うん、今ちょっとフリーで、家のこと手伝ってて」という短い返事も用意していた。表情を変えずに、短く返して、こちらから話を広げない。
実際に何回か会ってしまったことがある。心臓が爆発するかと思った。でも、5分後には何も起きていなかった。向こうは自分の生活に戻っていったし、自分も家に帰って布団に入った。会った瞬間の怖さと、会ったあとに実際に起きたことは、全然違った。
それでも、会うのが怖いこと自体は治っていない。引きこもりから半引きこもりに抜ける時期に、地元を離れる選択をした。知らない街に住むと、知っている顔に会う確率そのものが、ゼロに近くなる。これが自分の回復に一番効いた要素のひとつだったと、今でも思う。ただ、家族の事情、お金の事情、体力の事情のどれか一つでもあると引っ越しは難しいので、誰にでもできる方法ではない。
近所の人:ゴミ出しの時間をずらした
コンビニは、無理なら行かなくていい。でもゴミ出しは、出さないとゴミが溜まっていく。週に何回か、決まった曜日の朝に、外に出なきゃいけない。これが、自分にはコンビニより重い定例行事だった。
朝7〜8時は、犬の散歩、通勤、通学で近所の人が動き出している時間だ。一番しんどかったのは、「おはようございます」と言わなきゃいけない瞬間。言えないというより、言ったあとの表情や沈黙が怖かった。
実家にいたころは、出す時間を7時から8時半にずらして通勤のピークを外したり、冬はマスクやフードで誰が出しているか分かりにくくしたり、重い日だけ親に代わってもらったりしていた。一人暮らしを始めたとき、建物の中にゴミ置き場があって、24時間出せる物件を選んだ。ゴミ出しが「外に出る行為」じゃなくなって、生活のストレスがごそっと減った。
顔を見られること:マスクを外さなかった
自分にとってマスクは、感染対策というより、顔を隠す装備だった。表情を読まれない。口元の緊張が外に出ない。肌が荒れていても見えない。コンビニに行くときも、顔の下半分が隠れているだけで、緊張がだいぶ減った。
コロナが落ち着いて「外していい」と言われ始めたとき、周りが外していく中で、自分は外せない時期が続いた。今は、家では外して、近所の散歩やコンビニ、スーパー、病院では着ける、という分け方に落ち着いている。
なぜ外せないのかを自己分析しようとすると、ろくなことにならなかった。外したくないなら、理由を説明しなくても外さなくていい。 「外していい」は「外さなくていい」でもある。
平日昼の自分:レースカーテンだけ開けた
外に出る以前に、平日の昼はカーテンを開けることもできなかった。
昼にカーテンを開けると、外の光と一緒に「働いている世界」が部屋に入ってくる感じがした。外を歩く人の音、車の音、近所の子どもの声。全部が「世界は動いている、お前だけが止まっている」というメッセージに聞こえた。外から部屋を見られている気もした。これは半分幻で、半分本当だったと思う。
厚手のカーテンは閉めたまま、レースカーテンだけ開けるようにした時期がある。光は入るけど、外から中はほぼ見えない。それだけで、部屋の空気が少し変わった。
ただ、カーテンを開けたら自然に外に出られるようになる、という話ではなかった。光が入った部屋の方が、生活が少し軽くなる。それだけだった。
向こうから来る外:インターホン、電話、ハガキ
外に出なければ安全、というわけでもなかった。外は、向こうから来た。
インターホン。 鳴った瞬間に心臓が跳ねて、数分ドキドキが続く時期があった。一番ひどいときは居留守を使っていた。変わったのは、置き配が普通になってからだ。インターホンが鳴らず、誰にも会わず、自分が落ち着いているときに荷物を取り込めばいい。置き配が選べない荷物は、コンビニ受取や営業所受取、郵便局受取に変えていた。
電話。 仕事の電話は、予告なしにかかってくるし、相手の反応が見えないし、記録も残らない。そこがしんどかった。最初のやりとりで「基本的にメールかチャットで対応します」と伝えて、電話が必要な仕事は最初から受けないことにした。電話が怖いのは、今も変わっていない。
同級生。 郵便受けに同窓会の案内ハガキが入っていた日は、一晩眠れなかった。夜中にSNSで元同級生の名前を検索して、自分を殴りに行くような夜もあった。ハガキは、「行かない」という選択肢が最初からあると気づいてからは、欠席に丸をつけるか、そのまま捨てるようにした。SNSは、InstagramとFacebookをアカウントごと消して、残したTwitterでは元同級生を全員ミュートした。情報の入り口を塞ぐのが一番早かった。
今も怖いままのこと
全部が平気になったわけじゃない。今も残っているものを、正直に書いておく。
- 予期しないインターホンは、今でも一瞬緊張する
- 電話は、今でも怖い
- ゴミ出しの日は、今でも少し身構える
- 混んでいるコンビニには、今も入る気にならない
- 同級生に会うのが怖いのは、治っていない。会わない工夫で回している
- 気分によっては、今でもカーテンを閉め切って過ごす日がある
それでも生活は回っている。怖さを治したのではなく、怖さが出る場面を減らした、というのが自分の実感に一番近い。
効かなかったこと
- 怖さを消そうとすること。 「どうすればこの怖さが消えるんだろう」とずっと考えていた。答えは、消さなくていい、だった
- 時間帯だけで何とかしようとすること。 深夜に行けば空いている。でも、店員と一対一になる怖さが代わりに出てきた。落ち着いたのは、セルフレジやネット通販との組み合わせだった
- 頭で納得しようとすること。 「SNSは幸せの展示会だ」と分かっていても、夜中に開くと効かなかった。見ない、入り口を塞ぐ、の方が早かった
- 怖い理由を自己分析すること。 マスクを外せない理由を考えるほど、ろくなことにならなかった
今日できること
- 自分の「外が怖い」を、一つだけ書き出してみる。 店員なのか、知っている顔なのか、近所の人なのか、平日昼の自分なのか。分かれば、避け方も選べる
- 次に買うものを、置き配で頼めないか見てみる。 外に出る回数を減らすのも、立派な対策だった
- 行くなら、セルフレジのある店と、空いている時間を選ぶ。 自分の場合は午前10時前か深夜だった
- 入れなかった日を、失敗と呼ばない。 入れた日は入れた、入れなかった日は入れなかった。それだけにしたら、責める回数が減って、次に入るハードルが下がっていった
- 外に出ない日は、レースカーテンだけ開けてみる。 外に出なくていい
よくある疑問
コンビニには行けるなら、引きこもりじゃない?
国の調査では、そういう線の引き方をしていない。「近所のコンビニなどには出かける」状態が6か月以上続いている人も「広義のひきこもり群」に入っていて、過去の調査では「狭義」の側に区分されていた。コンビニに行けるかどうかで、苦しさが決まるわけではないと思う。
コンビニにも行けないのは、おかしい?
自分も、世の中で一番入りやすいはずのコンビニが一番怖かった。おかしいかどうかを考えるより、自分の場合は「普通じゃない」と自分で認めた瞬間に楽になった。問いが「普通になるために、どうするか」から「普通じゃないまま、どう生きるか」に変わった(「普通」という言葉が、一番怖かった)
人の目が怖いのは、自意識過剰?
自分の場合、半分は思い込みで、半分は本当だったと思う。昼間の外から見ると、窓は暗い反射面にしか見えないことが多いし、同級生に会っても5分後には何も起きていなかった。でも、「見られている気がする」感覚そのものは、確かにそこにあった。思い込みだと分かっていても止まらないなら、止めようとするより、見られない時間・場所・格好を選ぶ方が早かった。
外に出られない自分を責めてしまう
責めても、外に出る力にはならなかった。罪悪感の出どころと、自分が何をしたら減ったかは、こっちにまとめた → 引きこもりの罪悪感がつらい。甘えなのか?元当事者が罪悪感を減らせたこと
怖さがひどくて、生活が回らない
一人で抱えなくていい。各地の「ひきこもり地域支援センター」は、本人だけでなく家族からも相談できる。電話が無理なら、メールで受けている窓口もある(ひきこもり地域支援センターとは?電話できない人のための、相談の中身と窓口の探し方)
まとめ
- 「外が怖い」は一つの怖さじゃなかった。店員との会話、混んでいる気配、知っている顔、近所の人、顔を見られること、平日昼の自分、向こうから来る外(インターホン・電話・ハガキ)に分かれていた
- 怖さは部屋からの距離に比例しなかった。徒歩3分のコンビニが、駅や街中より怖かった
- 効いたのは、怖さを消すことではなく、種類ごとに「怖くならない通り道」を選ぶこと。セルフレジ、空いている時間、置き配、マスク、会わない時間帯、地元を離れる
- 時間帯をずらすと、別の怖さが出ることもある。一つの方法より、組み合わせで効いた
- 国の調査では、「近所のコンビニなどには出かける」も引きこもりの定義に入っている
- インターホン、電話、同級生に会うことは、今も怖いまま。それでも生活は回っている
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